明治2年創業、京都府山城町の
茶商から始まった宇治園
京都府の山城町と奈良県のほぼ境界にあり、笠置山から流れ来る木津川のほとり——、京都宇治と、宇治田原・奈良田原という茶産地のほぼ中間に位置するところで、それぞれの産地から茶の見本を借りてきて、それを宇治の問屋にもって行き注文を受けて産地に戻る「トンビ」(仲買)という茶商を重村源兵衛が始めた。やがて源兵衛は長女・千代乃の婿養子に、同じ山城町の川辺家から又三郎を迎え入れ、その又三郎がトンビ業から問屋業に発展させる。
2代目重村又三郎が
茶工場をつくり、本格的に山庄という屋号で
茶製造・卸・小売業に入る。
京都府山城町から商都大阪へ
昭和の初め頃には、ヤマショウという屋号で、八十坪ほどの工場をもち、茶の再加工業務とトンビ業に精を出した。その後、昭和16年に京都山城町から商都大阪(玉造・販売所)へ進出し、「宇治園」という屋号もこの時つけた。この頃から茶葉の小売もするようになった。当時、この進出は画期的なもので、同じ小売でも、生産者から直接消費者に販売するという流通革命をひっさげての登場であった。京都府下の田舎町から商人の町である大阪進出ということだけに必死の覚悟があったに違いない。
心斎橋筋商店街に本店を開設
株式会社に改組
3代目重村正明が代表取締役に就任
(資本金200万)
須磨区に神戸支社を開設後に分社
外商部(営業部門)を開設
資本金400万に増資
事業部制を敷き外商部が独立
事務所を南区大宝寺町に移す
資本金800万に増資
大阪国際空港伊丹店 開店
万博博・松下館で世界の人々に伝統ある
日本の茶道を紹介する
阪急三番街店・虹の街店
(現なんばウォーク)開店
そごう大阪店、いよてつそごう店を
皮切りに百貨店への多店舗展開が始まる。
奈良県山辺郡に奈良工場を建設
(土地面積5038㎡・建築面積1332㎡)
資本金1600万に増資 翌年1800万に増資
資本金2000万に増資
名古屋支店 開設
(名古屋市守山区)東海地域進出
ジャスコ新茨木店を皮切りに
郊外SCへの多店舗展開が始まる。
4代目重村泰弘が代表取締役に就任
株式会社ムーランを立ち上げ、
土産品販売の事業拡大(冷凍たこ焼き等)
平田佳廣が代表取締役に就任
PUKUPUKU名古屋みなと店
(ソフトクリーム専門店)を出店
珈琲蔵人「珈蔵」箕面店
(ロードサイド型和風喫茶)を出店
中村剛が代表取締役に就任
グリーン商事㈱が「甘味茶房」(甘味喫茶)を
出店<その後宇治園と合併>
生ショコラの販売を開始
バレンタインデー商戦に参戦
スイーツの製造販売にも本格参入
茶師とパティシエのコラボレーションで色・味・香り・食感など様々な感動の彩りを演出した「甘味工房 茶の彩(ちゃのいろ)」の展開をはじめ、生ショコラ、あいすクリーム等のスイーツの製造販売にも本格参入。
「茶の彩」(和カフェ・セルフサービス)
ココエあまがさき店を出店
「喫茶去」(甘味喫茶・フルサービス)
阪急三番街店を出店
重村勝が代表取締役に就任
金平糖のブランドを立上げる。
中国上海に「茶の彩」(お抹茶BAR)を出店
中国進出
「バル デ テェ」(お抹茶BAR)
難波髙島屋店を出店
心斎橋本店を免税店として登録
茶スイーツ物販店
宇治園エキマルシェ新大阪店を出店
「バル デ テェ」LAOX新宿店への出店を
皮切りに東京での営業を強化
東京に「宇治園」裏参道ガーデン店を出店
ボトリングティー「ゴッタス」を開発し、
G7伊勢志摩サミットで安倍首相、オバマ米大統領他、各国首脳に提供
ボトリングティー「ゴッタス」をJR西日本の豪華列車トワイライトEXP瑞風で提供
香港に「宇治園」ハーバーシティ店を出店、香港進出
G20大阪サミットでボトリングティー「ゴッタス」を、安倍首相、トランプ米大統領、習近平総書記、プーチン大統領他、各国首脳に提供
健康茶専門店「古傳薬膳」を立ち上げる
重村勝が代表取締役会長に就任
重村桜子が代表取締役社長に就任